山に入って4日もたつと、徐々に自然にたいして馴染んでくる感覚がある。
移動しながらいつも違う場所で眠ることにも慣れ、匂いや音、光の変化などにも敏感になる。そして、足取りも心なしか軽やかになってくる。
あ、これは単純に食糧分の荷物が軽くなったからか。
初の峠越えにドキドキするも……
峠といっても、たいてはこんな感じ。ゆるーく登ってゆるーく下るのがヨセミテスタイル。
峠を越えると、一気に眺望が開ける。飴とムチのバランスで言ったら、圧倒的に飴多め。
今日はこの旅で初の峠越えがある。カセドラルパスという名前で、2つのピークの間をすり抜けるように、トレイルがついている。
どちらも立派なピークなんだけど、アメリカのウィルダネスでは頂上までトレイルが付いていることは、ごくごく稀。ピークハントはクライマーの領域であり、ハイカーたちはあまり興味を示さないのだ。
ただし、パス(峠)の中には延々とつづら折れが続くイカツイやつもいるので、ちょっとドキドキしていたけど、ぜんぜん楽勝。
歩きやすい北八ヶ岳という雰囲気だ。そういう頑張らないとこ、好きよ。
赤く色づいたメドウ。これで靄でも出たらこの世のものとは思えないかもしれない。
峠を抜けると美しいメドウが広がる場所にでる。ところどころ赤く色づいているのは紅葉だろうか。湿原の紅葉というものを初めて目にする。
ヨセミテ歴50年の大先輩
この旅でトムさんとの出会いは大きかった。サンフランシスコのベイエリア在住で、クライマーのための「MOUNTAINPROJECT.COM」というサイトも手がけている。
風景に見とれていると、後ろから声をかけられる。
振り向くと、自然の中で素晴らしい年月を過ごしてきたことが一目でわかる、山のジェントルマンがニコニコしている。髭こそないものの、どこかジョン・ミューアを彷彿とさせる佇まいだ。
「どこから来たの?日本ですか。それは遠い所からわざわざありがとう」
もう、ヨセミテは8回目になります、と答えると、その紳士は「それはすごい!」と嬉しそうに目を輝かせてくれる。
「今日はここ最近で1番天気が良いですよ。ベストなタイミングで来ましたね。先週は雪だったから」
この紳士の名前はトム・ロジャーさん。なんと50年以上前からヨセミテに通っているという。しかもエル・キャピタンにも1972年に登ったことがあるというから、もはやレジェンドクラス。
僕なんかまだまだひよっこだ。僕の中で勝手にヨセミテマスターに任命させてもらう。
そんなトムさんが「すごく良いキャンプ地がこの先にあるんですよ」と目をキラキラさせながら言う。
「この道を進んだ先に分岐点があるんですが、そこからトレイルを外れて少し行った場所です。ほとんど人が来ることもないし、とても静か。風景も素晴らしいんですが、それを行く前の人に語るのはナンセンスですね」
地図で確認してみると、予定していたルートと一致している。
今日泊まる予定にしていたサンライズレイクスよりも、少しだけ遠いが問題ない距離だ。
「今晩は、ぜひそこに泊まろうと思います」と伝えると、うんうんと嬉しそうに何度もうなずく。
トムさんは「それじゃあ、良い旅を」と告げると、横のトレイルのないエリアに入っていく。一度稜線まで上がって、そこを縦走していくのだ。
あっという間に姿が小さくなる。少なくとも齢70は超えているはずなのに、その歩くスピードは健脚なんてレベルじゃない。
毛むくじゃらの地元住民にもご挨拶
ヨセミテの住人。キバラマーモット。あまり警戒心が強くなく、けっこう近くまで寄ってもぬぼーっとしている。
トムさんと分かれた後は、のんびりとしたメドウ歩きを満喫する。
途中の樹林帯ではマーモットとの遭遇もあった。お腹が黄色いことからキバラマーモットという正式名称。僕は勝手にモケオと名付けているんだけど、コイツらときたら、いつも素晴らしい場所に住んでいる。
あぁ、ここ気持ち良いなあと思うと、ひょっこりマーモットの家族が岩から顔を覗かせたりするのだ。
僕自身がヨセミテで出会った野生動物は、ダグラスリスやチップモンクなどのリス。コイツらはちょこちょことトレイル周りを駆け回る姿を良く見かける。他にもミュールジカもよく会うし、ジッと静かにこちらを見つめたまま動かないコヨーテにも遭遇した。
名前はわからないんだけど、ずっと美しい青い鳥がついてきたこともあった。
そしてもちろん熊。トレイルから30mくらい離れたところを熊の親子が歩いているところに遭遇したことがある。心臓はバクバクだったけど不思議と怖さは感じなかった。そういえば、今回はモケオとリスくらいしか動物に出会えていない。季節的なものもあるのだろう。
サンライズのハイシエラキャンプからの眺め。昼寝したら気持ち良いだろうなあ。
どばぁっと景色が開けたらサンライズという場所に到着だ。ここには例外的に小屋が建ててある。
ただ、木々をうまく利用していてトレイルからはほとんど存在を感じないようカモフラージュされている。ここはハイシエラキャンプと行って、ハンディキャップがある人や、お年寄りでもウィルダネスを楽しめるよう設定されているキャンプグラウンドで、基本的に予約制。
歩行が困難な人でもホースバックライディングといって、馬でここを訪れることもできるから、手綱を結わえておく手すりのようなものもある。馬でのヨセミテ旅。いつかやってみたいことのひとつだ。
そういえば、メドウが続いているのに蚊がいない。これが夏場だったらエライことになっている。もしかしたらヨセミテを歩くのは晩秋がベストシーズンかもしれない。ただ、雪の心配も出てくるので、一概には言えない。
サンライズにはロッジもある。トイレを借りようと思ったけど、オフシーズンのため封鎖。ちなみにメイレイク、グレンオウレンにもハイシエラキャンプがある。
サンライズには分岐があって、そのままジョン・ミューア・トレイルを歩いて行けば、ヨセミテバレーまで下りていくことができる。
僕の場合はメイレイクまでクルマをとりに戻る必要があるから、2日間楽しませてもらったジョン・ミューア・トレイルとはここでさよならだ。
サイドトレイルに入ってしばらく行くと、眼下に美しい湖が見えてきた。
巨木に囲まれた居心地の良さそうなサンライズレイクス。水質は言わずもがな。
ここが当初、キャンプ地として予定していたサンライズレイクスだ。うーむ、こっちのロケーションもかなりのものだけど、トムさんイチオシのキャンプ地、ほんとに大丈夫か?
トムさんが教えてくれた分岐に差し掛かり、トレイルを外れて斜面を上がっていく。たまたますれ違った人に情報を聞いて、隠されたキャンプ地に向かうなんて、ちょっとRPGゲームっぽい。
うっすら残された踏み跡を辿りながら「うーん。なんか普通の森だよなあ」と思っていたら突如としてその時はやって来た。
自分史上最高のキャンプ地
いまのところ人生最高のキャンプ地。正面にハーフドームが見える。いままでとは逆側から眺めているから新鮮。
いきなり空が抜ける。眼下に広がるのはヨセミテバレーだ。ヨセミテにクルマで到着したときの逆側から眺めているということか。
左手にはハーフドームの姿も見える。「THE NORTH FACE」のロゴでお馴染みの形ではなく、左右が反転したいわば逆さハーフドーム。これは文句なしの風景だ。
このヨセミテバレーの風景は「神々が遊ぶ庭」と呼ばれることもあるけど、ぜんぜん大げさに感じないスケール感だ。もちろんファイヤーサークルも完備。どころか、丸太などを利用した椅子などもあり、ちょっとしたリビングのようになっている。
トレイルからは100mほど離れているし、森によって隔てられていることもあって、ここは知らないとまず見つけられない。さすがヨセミテマスター・トムさんのお墨付きなだけある。
さて、すでに日課となりつつある薪集めをしようと思ったら、雨のあたらない岩陰にすでに大量の薪が集められているではないか。いたれり尽くせりの5つ星キャンプ地。
人生ベストキャンプ地をみごと更新してくれた。
まあ、これはヨセミテに来るたびに言っている気もするけど。
テントからの眺めも最高。こんな場所に小屋建てて住めたらなぁ。いや、人工物は要らないか。
Text:Takashi Sakurai
Photo:Hinano Kimoto
Edit:Michitaro Osako(YAMA HACK)